宮澤博行の学歴や経歴まとめ!出身の高校や大学、政治家になった理由

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この記事では、宮澤博行(みやざわ ひろゆき)前防衛副大臣の学歴や経歴、政治家になった理由についてご紹介しています。

宮澤博行氏は政治家になる前はアルバイトや会社員を経験されていたことをご存知でしたか?

ここからは宮澤博行氏の学歴や経歴、政治家になった理由について詳しくご紹介していきます。

目次

宮澤博行の学歴

それでは、宮澤博行氏の学歴についてご紹介していきます。

龍山北小学校

静岡県浜松市にある旧龍山北小学校(現在の浜松市立横山小学校)ご出身です。

小学校を卒業された宮澤氏の写真が公式HPにありました。

宮澤博行氏の小学生時代
引用元:宮沢ひろゆき 公式HP

おそらく上段の左から4番目に写っているのが宮澤氏だと思われます。

小学校は、山道を徒歩で1時間かけて登校していたとのことでした。

当時は、男子5人、女子5人の10人の同級生だったそうです。

ana

少人数なため、同級生の皆さんは仲が深まりそうな気がしますね!

龍山村立龍山北小学校は2004年に廃校になり、翌2005年から合併により学校名称が「浜松市立横山小学校」となっています。

廃校になった今の校舎は、アート作品を展示したりイベント行事に活用されているとのことです。

龍山中学校

次に、龍山中学校時代の宮澤氏をご紹介します。

龍山中学校(現在の浜松市立光が丘中学校)ご出身です。

中学入学式の宮澤博行氏
引用元:宮沢ひろゆき 公式HP
中学時代の宮澤博行氏
引用元:宮沢ひろゆき 公式HP

こちらも左から4番目に写っているのが宮澤氏だと思われます。

親友ねこ

面影が感じられるような気がしますね!

中学時代は剣道部に所属し、剣道は現在も続けられているそうで5段をお持ちでした。

静岡県剣道祭に参加した宮澤博行氏
引用元:宮澤博行 まっすぐ日本!

宮澤氏は2013年度から磐田(いわた)剣道連盟副会長を務めています。

磐田南高等学校

次に、磐田南高等学校時代の宮澤氏をご紹介します。

宮澤氏は1993年に静岡県立磐田南高等学校卒業されています。

公立高校で偏差値は66~69です。

磐田南高等学校の卒業生は他に下記の方々がいらっしゃいました。

・落語家   三遊亭圓王さん
・放送作家  すずきB(鈴木弘康)さん
・作曲編曲家 山下康介さん
・映画監督  池田千尋さん ほか

高校生の頃の宮澤博行氏
引用元:宮沢ひろゆき 公式HP

また、こちらの高校は1992年にアメリカのマウンテンビュー高校と姉妹校提携されています。

宮澤氏は高校生の頃に生徒会長を務められていました。

東京大学

次に、東京大学時代の宮澤氏をご紹介します。

1993年の東京大学の入学式の写真がこちらです。

大学入学式の宮澤博行氏と母
引用元:宮沢ひろゆき 公式HP

駒場寮で2年間過ごされ、1997年に東京大学法学部卒業をされています。

東大在学中も剣道部に所属していたそうですが父が体調を崩したことで退部され、アルバイトをしながらの学生生活だったと語られています。

大学時代は就職活動の際に政治家一筋で行くのかと思われましたが実際、官僚になることに迷いがあったそうですよ。

父の泥と汗にまみれて働く姿が目に浮かぶ。本当に官僚でいいのだろうか。ちょうど、大蔵官僚の不祥事、厚生官僚の不祥事が重なり、迷いが迷いを生み、就職活動もままならず、就職氷河期にも重なり、全敗。普通は留年するのであるが、学費を親に出してもらうわけにもいかず、あえなく就職浪人という結末。ファミリーレストランでコックのアルバイトをして食いつないだ。

引用元:宮沢ひろゆき 公式HP

決して、順風満帆の大学生活ではなかったことがわかりました。

次に、宮澤博行氏の経歴についてご紹介しますね。

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宮澤博行氏の家族構成については下記の記事でご紹介しています。

宮澤博行の家族構成!妻や子供はいる?父親は土木作業員だった

こちらの記事で、父親や妻、子供について紹介していますのでよかったら合わせてご覧ください。

宮澤博行の経歴

続いて、宮澤博行氏の経歴についてご紹介していきます。

先ほども少し触れましたが、大学卒業後は就職浪人としてアルバイト生活を送りながらの生活を始めはされていました。

バイト先のファミレスのコック時代の写真がありました。

アルバイト時代の宮澤博行氏
引用元:宮沢ひろゆき 公式HP

1998年頃には商品先物取引の会社であるミリオン貿易(現・KOYO証券)に入社されたとのことです。

会社員時代の宮澤氏の写真がこちらです。

会社員時代の宮澤博行氏
引用元:宮沢ひろゆき 公式HP

会社員生活を経験され、なぜやはり政治の道へ行かれたのか気になりますよね。

政治の道へ歩みを進めたのは、高校の同窓会総会に参加した際に出会った市議会議員の先輩のアドバイスがあったからでした。

まずは地方議員になるため地元である静岡・磐田に戻られます。

地元に戻られてからも地方選挙まで1年あるために、工場の作業員や引越しの手伝い、オートバイ製造の派遣、塾講師などを経験された後、2003年4月に磐田市議会議員へ立候補され初当選されます。

苦しい会社員経験を積まれて、見事当選されていたことがわかりました。

次に、宮澤博行氏が政治家になったきっかけをご紹介していきます。

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宮澤博行が政治家になった理由

続いて、宮澤博行氏が政治家になった理由をご紹介していきます。

宮澤氏は、中学の頃に自宅に保管されていた戦没者の遺品を見て「国を守りたい」と思ったそうです。

宮澤氏の中学時代に感じていた思いが書かれていました。

遺品を見て、祖母の話を聞いて「ご先祖さまが国のために命を捧げたのなら、僕も国のために頑張ろう。」そう思って、自衛隊に行こうと考えるようになった。そうするには防衛大学校に行かなくてはならない、そのためには身体も頭も鍛えなくてはならない、ということで鍛錬の日々が始まった

引用元:宮沢ひろゆき 公式HP

初めは自衛隊を目指されていたんですね。

しかし、中3の夏に父に「ことが起こってから国を守るのではなく、そのこと自体を防ぐ人間になれ。」と言われたことがきっかけで政治の道を志します。

この言葉に「なるほど」と腑に落ちたそうで、そこから猛勉強され東大へ見事合格されます。

その後、先ほど少し触れましたが就職氷河期時代を経てバイト生活をしながら会社員を経験され、政治家になられています。

そんな宮澤氏ですが今年議員辞職をする意向を固めたと報道がありましたので、残念ですね。

今後どんな仕事をされていくのか注目していきたいと思います。

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