この記事では、鈴木淳司(すずき じゅんじ)前総務相の妻や子供、父親のことについてご紹介しています。
鈴木氏の妻は元バイオリニストということや、息子が京大卒だったことをご存知ですか?
ここからは鈴木淳司氏の妻や息子、父親について詳しくご紹介していきます。
鈴木淳司の妻は元バイオリニスト
それでは、鈴木淳司氏の妻についてご紹介していきます。
妻は、鈴木敏子(としこ)さんという方で、元バイオリニストでした。
妻の出身高校・大学
敏子さんは愛知県立明和高校音楽科、京都市立芸術大学音楽学部を卒業されています。
明和高校は偏差値55-71で、音楽科の情報をリサーチしてみますと「功績もよく、ピアノや声楽で全国一位の方がいる」との口コミもありました。
大学卒業後は弦楽を磨き、深めるためにイタリアに渡られています。
名古屋フィルハーモニー交響楽団出身
そして敏子さんは、2014年まで名古屋フィルハーモニー交響楽団のメンバーとして活動されました。
退団された理由としては、2014年12月に行われた解散総選挙に向けて夫の活動に専念するために退団されたとのことです。
フィルハーモニーを退団されたあとも、たまに演奏会を行われていました。
演奏会でバイオリンを弾いている敏子さんの写真がありましたのでご紹介します。
鮮やかなピンクのドレスがお似合いでした。
鈴木淳司氏との結婚
そして、鈴木淳司氏と1994年に結婚され、2023年時点で結婚29周年を迎えられています。
結婚した当初淳司氏は36歳で、愛知県瀬戸市の市議会議員をされていました。
敏子さんも結婚後、子育てをしながら音楽活動は続けられていたようです。
2018年の淳司氏のTwitterには夫婦仲良く新年の挨拶をされている写真の投稿がありました。
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。本年もよろしくお願いします。 pic.twitter.com/VL86Q6HoND
— 鈴木じゅんじ (@jyunji_suzuki) January 7, 2018
また、2021年10月に妻の敏子さんが夫・淳司氏との仲の良さを感じさせるインタビューに答えていましたのでご紹介します。
国会会期中の夫とは二〜三週間くらい顔を合わせないことも普通にありますがコロナ禍では食卓でゆっくり私の手料理を食べてくれる時間ができました。「長芋の煮物」を作ったときは私の分まで平らげてしまって驚きました。
夫から、地元での仕事の合間に「これ行かない?」と誘われて、共通の趣味である美術館や工房巡りをする時間も増えました。博識な夫なので楽しいです。息子が小さい頃は旅行先に一人遅れて到着することも多かったです。
引用元:中日新聞
歳を重ねても夫婦で仲良く出かけられたり、夫への尊敬が伺え素敵な夫婦関係を築いていらっしゃって素敵だなと感じました。
そして、フィルハーモニーを退団した後は、国会議員の妻として挨拶回りや演説会など様々な場面で淳司氏をサポートされています。
2023年9月23日に淳司氏が総務大臣として初入閣された際には敏子さんも駆けつけ、インタビューに答えていて、献身的に夫をサポートしていることがわかりました。
次に、鈴木淳司氏の子供についてご紹介していきます。
鈴木淳司の子供は京大卒
続いて、鈴木淳司氏の子供についてご紹介していきます。
お子さんは1人息子で、1994年〜1995年に生まれたとの情報がありましたが、写真など詳しい情報はあげられていませんでした。
また、息子さんは京都大学出身というウワサがあります。
ウワサされている理由については京都大学基金の2015年3月16日に「鈴木淳司」の名前入りでコメントがあったからです。
良き師、良き友に恵まれて、充実した学生生活が送れますように。
引用元:京都大学基金
それから、敏子さんのインタビューの中には息子さんとのこんなエピソードがありました。
今年、修士課程を終えて会社員になった長男が寮に連れていけなかった飼い猫を自宅で引き取りました。夫も私も最初はとまどいましたが、最近では「こっち向け」と言ってかわいがり、スマホで写真を撮って息子に送っています。
引用元:中日新聞
息子さんは2021年4月から大学院の修士課程を終えられて、会社員として歩みを進められていることがわかりました。
ちなみに、息子さんがどこの会社に勤めているのかはわかりませんでした。
社会人経験を積まれた後は、父の背中を追って政治家として活動されていく可能性もありますね。
次に、鈴木淳司氏の父についてご紹介していきます。
鈴木淳司の父
続いて、鈴木淳司氏の父についてご紹介していきます。
淳司氏の父親についてリサーチをしてみますと、鉄工所を経営していたと2014年のインタビューで答えられています。
父親も政治家なのかと思いましたが違ったようですね。
鉄工所の経営者として働く父の背中を見て、「真面目に働く人たちの味方になりたい」と政治の道へ進まれたと語られています。
他に淳司氏の父とのエピソードがありましたら追記してまいります。