牧原秀樹の学歴は?アメリカで弁護士だった!政治家へ転向した理由は?

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この記事では、自民党衆議院議員・牧原秀樹(まきはら ひでき)氏の学歴についてご紹介しています。

牧原氏は政治家になる前は、アメリカで弁護士をされていたのをご存知ですか?

ここからは、牧原秀樹氏の学歴や経歴など詳しくご紹介していきますのでよかったら最後までお読みください。

目次

牧原秀樹の学歴は?

それでは、牧原秀樹氏の学歴についてご紹介していきます。

牧原氏は東京都新宿区ご出身で、麻布中学校・麻布高等学校、東京大学法学部を卒業されています。

麻布中学校の偏差値は68で、高校は中高一貫校の私立の男子校ということがわかりました。

最近では母校の麻布高等学校で講義をされたことを報告されています。

ちなみに同じ出身校には先輩に、福田康夫元総理大臣がいらっしゃいました。

牧原氏と福田元総理が一緒に写っている写真がありましたのでご紹介します。

一緒に写っている写真は、この1枚のみでした。

お二人は、APDA(公益財団法人アジア人口・開発協会)に所属しており、福田元総理はAPDAの理事も務められています。

東大卒業後は、2000年にジョージタウン大学ロースクール国際法学科へ入学され2001年に課程を修了されています。

エリートコースをたどられていたことがわかりました。

次に、牧原秀樹がアメリカで弁護士をしていた頃についてご紹介していきます。

牧原秀樹氏がSNSにお子さんの写真を上げられているのをご存知ですか?

牧原秀樹の妻や子供など家族構成は?子供の画像も紹介!

という記事で牧原秀樹氏のお子さんとの仲睦まじい写真など詳しくご紹介していますので、よかったら合わせてご覧ください。

牧原秀樹はアメリカで弁護士だった

続いて、牧原秀樹がアメリカで弁護士をしていた頃についてご紹介していきます。

1994年の22歳の頃、大学在学中に司法試験に合格し、1997年4月に弁護士登録されています。

はじめは日本で弁護士資格を取られたんですね!

同年1997年4月に旧あさひ法律事務所へ入所しています。

日本での弁護士としての活動について、自身のHPに紹介がありました。

日本では主として企業法務や国際紛争を専門としつつ、証券、金融、独禁法、知的所有権、国際援助、労働、破産などほぼ全ての分野の事件を担当し、さらには刑事弁護やストーカー事件、セクハラ防止、ヤミ金対策、家族法、民事訴訟なども手がけました。

引用元:牧原ひでき 事務所(HP)

その後はアメリカ留学を決断され、2000年にジョージタウン大学ロースクール国際法学科入学し、2001年5月に修了しています。

2001年6月に世界貿易機関法律部にて研修をしたのち2001年9月にはHogan & Hartson LLPへ入所されています。

2002年2月にはニューヨーク州の司法試験に見事合格されました。

2002年8月にMasuda & Ejiri(旧:あさひ・狛法律事務所のニューヨークにある事務所)へ入所したのち、9月にはニューヨーク州弁護士登録されています。

アメリカで弁護士をされていた時の活動についても自身のHPに紹介がありました。

留学に出てからは、国際舞台で日本のために戦ってきました。国際通商法を軸に、米国で訴訟に巻き込まれた日本企業のために、知的所有権、強制労働、あるいは証券訴訟なども担当しています。

引用元:牧原ひでき 事務所(HP)

牧原氏はもともと政治家になりたくて弁護士やニューヨーク州弁護士になったのではなく、社会正義を実現したいと思って弁護士という職業に命をかけてきたと語られています。

次に、牧原秀樹氏が政治家へ転向した理由についてご紹介していきます。

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牧原秀樹が政治家へ転向した理由は?

続いて、牧原秀樹氏が政治家へ転向した理由についてご紹介していきます。

弁護士として活躍する中で、なぜ政治家を志したのか気になりますよね。

政治家を目指したきっかけについて話されているインタビューがありました。

私は弁護士を経て通商法の専門家として経産省に入ったのですが、初めて身近で政治家と触れてみたときに、自分がやっている通商法の分野に限ってはとても今の政治家には任せられない、このままでは日本が世界の競争に負けてしまうと感じました。そんなタイミングで自民党がちょうど公募を行うことを知り政治家を志すに至ったのですが、それが大きなきっかけの1つだと言えると思います。

引用元:選挙ドットコム

留学中、同時多発テロを首都ワシントンDCですぐ間近で経験し、世界歴史の大きな流れを感じましたが、その一方でバブルの後遺症や少子化、多額の財政赤字で将来につけを残す一方、国際的に存在感を失っていく日本に危機感を覚えました。

引用元:牧原ひでき 事務所(HP)

世界を相手に努力と経験で積み上げてきた自分の「実力」を武器に国の未来に尽くしたいと決意されたこともあかされています。

このことから弁護士から政治家へと転向を決められましたことがわかりました。

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