塩谷立の家族構成や経歴まとめ!コロナ禍に起こした不祥事3件とは?

※本ページはプロモーションが含まれています。

この記事では、自民党衆議院議員の塩谷立(しおのやりゅう)氏の家族構成や経歴をご紹介しています。

塩谷氏は、コロナ禍に不祥事を起こしていたこともご存知ですか?

今回は塩谷立氏の家族構成・経歴、不祥事について詳しくご紹介していきます。

目次

塩谷立の家族構成

それでは、塩谷立氏の家族構成についてご紹介します。

塩谷立のプロフィール写真
引用元:塩谷立公式HP

塩谷氏は妻、次男、長女の4人家族です。

塩谷氏の公式HPのプロフィール欄には「長男」の文字が書かれていませんでしたので気になり調べてみましたが、長男の情報については出てきませんでした。

あえて長男の表記をされていないのが気になりますが、仲が悪いのか死別されてしまったのか分かりませんが詳細が気になりますね。

詳しい情報が分かりましたら追記してまいります。

ちなみに、塩谷立氏の父親の一夫(かずお)氏も元衆議院議員でした。

塩谷氏の名前の「立」と書いて「りゅう」と読むのはめずらしいですよね。

この名前には由来がありました。

父である一夫氏が、第二次世界大戦の中国戦線で戦闘に参加した際に、敵である中国人の子どもに助けられたことがあったそうです。

「立」という名前は、その中国人の子の名前の読み方である「りゅう」を用いたのだそうですよ。

次に、塩谷立氏の経歴についてご紹介していきます。

塩谷立の経歴

続いて、塩谷立氏の経歴についてご紹介していきます。

塩谷氏は静岡県袋井市出身静岡県立静岡高等学校を卒業されています。

袋井市といえば、「可睡斎ひなまつり」が有名ですね。

静岡高等学校の卒業生には、元キリンビール社長の加藤壹康(かとうかずやす)さんや声優の小野友樹(おのゆうき)さんなどがいらっしゃいました。

高校卒業後は、米国カリフォルニアのアンバサダーカレッジに留学し、帰国後は慶應義塾大学法学部政治学科に進まれました。

塩谷氏の父も衆議院議員でしたので、自然と政治の道を進まれたのかもしれませんね。

大学卒業後は1978年10月に財団法人国際青少年研修協会設立されています。

初めは政治の道ではなく、日本と海外の青年たちの交流の場を作るために12年活動されていました。

政治家としては1990年に、衆議院議員総選挙で初めて当選しています。

2020年11月には、衆院永年在職25年の表彰を受けられています。

次に、塩谷立氏がコロナ禍に起こした不祥事についてご紹介していきます。

塩谷立のコロナ禍の不祥事

続いて、塩谷立氏がコロナ禍に起こした不祥事について3つ順番にご紹介していきます。

2021年 緊急事態宣言中に浜松まつりに参加

緊急事態宣言発令中に、2021年5月に地元静岡の浜松まつりの凧揚げに参加されていました。

その時の写真がこちらです。

ご自身のXに写真を上げられていました。

参加を禁止されていたにもかかわらず、無視して参加していたことが問題視されていました。

2021年 緊急事態宣言中に100人規模のセミナーを開催

凧揚げに加えて、さらに浜松市で100名ほどの聴衆を前にセミナーを行っていたことが発覚しました。

2021年 緊急事態宣言中に20人規模の会食に出席

凧揚げ、セミナーと続きさらには浜松市のホテルにて約20名と会食していたこともわかりました。

いずれもマスクをしていたので問題ないと話していたようですね。

不祥事などまた何かありましたら更新してまいります。

目次